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2008年3月 3日 (月)

駅前の、歴史の展示、眺めつつ、もっと知りたや、わが街のこと。

前回ちょっと書いた、ビッグアイのパネル展示についてである。 パネルは6階の市民サービスセンターのフロアに展示してある。郡山市役所の担当部署、公聴広報課に許可をいただき、掲載させていただく事にした。 郡山という街は、名が体を表すように、もともと 郡衙、つまり、郡の役所があった場所であり、そこから、郡山という名前がついたと言われている。その歴史は古く、遠く古墳の時代から歴史は続いている。しかし、現在のような近代都市になったのは、明治に入ってからの安積開拓によって、猪苗代湖から安積疎水を引く事に成功したことに起因する。郡山駅も明治20年の上野ー郡山間の開通とともに設置された。駅を作るということはやはり、容易ならざる事で、駅の誘致には多額のお金が必要であった。先人達はその資金の調達にずいぶんと苦労したようである。

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開業当時の駅のイラスト。

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明治時代末期の蒸気機関車。

日本ではじめて鉄道が開設されたのが、新橋ー横浜間、時は明治5年(1872)のことであった。郡山まで開通したのが、明治20年(1887)、その年の12月には仙台まで延長なった。そして、東北本線が青森まで全線開通したのが、明治24年(1891)、当時の技術力から言うとこれでもすざまじいほどの速度で鉄道が全国に網羅されて行ったのが想像できる。ちょうど携帯電話の普及のイメージかも、、、いや社会の変革という観点ではそれ以上であっただろう。富国強兵が声高に叫ばれていた頃のおはなしである。ちなみに駅が開設された頃、郡山はまだ郡山村であった。

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大正時代の郡山駅。

明治22年 郡山は村から町へと移行する。人口8031人だったと記録されている。明治30年には岩越鉄道(後の磐越西線)が中山宿まで開通した。岩越鉄道の起点駅には、白河、須賀川、本宮も名乗りをあげていた。郡山は東北線(日本鉄道)における貨物輸送量が他の候補地と較べて、最大であり、場所的に県の中央である事や、用地の平坦さなどを訴えたという。最初は官設鉄道として誘致していたのだが、なかなか決定されず、途中から私設鉄道の創設と言う形に変わって行った。そして、郡山町の有志と安積郡の有志達は56万円の巨額の資金を集める事に成功し、明治29年、岩越鉄道株式会社を設立。徐々に鉄道は延伸され、大正2年には新潟県の新津まで開業した。

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大正期の郡山駅前。ご夫人の服装が時代を映している。

岩越鉄道の開通は郡山の発展にとって重要な意味合いを持った。明治24年には三春方面へ、鉄道馬車が設置され、1時間20分もかけて三春まで走った。しかし、大正3年には平郡鉄道(磐越東線)が開通し、その後利用者が急激に減り、時代の流れとともに消えて行った。

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ビッグアイ展望フロアの鉄道ジオラマには大正期の駅前の模様も再現され、鉄道馬車の姿も。

岩越鉄道の成功は、後の平郡線(磐越東線)や昭和9年に開通した水郡線に大きな影響を及ぼし、郡山は交通の要衝という地位を確立させ、近代都市へと生まれ変わる大きな大きな礎となった。

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昭和初期の駅前。駅裏には保土谷化学の建物が見て取れる。かなり賑やかになって来た。

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昭和初期の駅前の様子、古き良き時代の歓楽街があったのであろう。

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昭和26年に新しい駅舎に生まれ変わる。

大正、昭和初期と郡山は幾度も様々な変貌を遂げながら、一気に都市化していく。太平洋戦争時、 昭和20年4月12日、B29での最初の空襲は駅前、そして駅東側の保土ヶ谷科学工場を破壊した。その他にも日東紡、東北振興アルミ、浜津鉄工場などに及びこの日だけで死者460人を数える。

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昭和20年代の空撮による郡山駅前市街地の様子。まだまだビルが少ない。

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昭和30年代の駅前、バス輸送が盛んになって来ている様子が分かる。

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昭和30年代後期の様子。

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そして昭和40年代、雑居ビルが建ち並び、賑やかになってきた。しかし、なんだか雑然としている。

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この頃は駅前に丸光デパートがあり、うすい、津野、とデパートが人でごった返したいい時代であった。

そして、昭和50年、丸井、そして西武、ダイエーが立て続けに開業し、郡山の駅前市街地が黄金時代をむかえる一方、競争激化の時代へ、、、

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開業当時の丸井郡山店、この頃は森永のレストランがあり、屋上にラジコンのコースがあり、子供達の遊び場だった、、、

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西武(開業当時は西友ストア郡山店)にはガラス張りのエレベーターがあり、すごく革命的なエレベーターだった。

昭和57年、待望の東北新幹線が開業。駅舎も大きく様変わりした。同時に駅ビル SunCityも開業し、駅前は多くの買い物客で賑わった。あれからもう25年も経つ、、、

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新幹線駅に大きな変貌をとげた郡山駅前市街地空撮。まだビッグアイの姿は無い。

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近代化した駅舎とすっかり取り残されてしまった西口再開発予定地。

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市街地のもうひとつの核である中町地区。昭和50年代、まだ”第一うすい”と”第二うすい”があり、中央通りの人の多さはすざまじかった。ことに土日は人ごみをかき分けながら進むと行った感じだったのだが・・・

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在りし日のダイエー郡山店。いまは完全なる空きビルになって、大町地区に当時の隆盛の面影は無い。

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新幹線のキャッチフレーズ、”ひかりは北へ” だった。新幹線開業当時の看板が懐かしい。

西口再開発は難航した、バブル後の経済状態であった事もあり、三越や大丸などの大手百貨店に出店オファーをしたものの、断られ続け唯一出店に前向きだったのはそごう百貨店だった。しかし、時期を同じくした市長選の結果、地元百貨店の息がかかっていると噂された候補者が当選し、それからの交渉はそごう側に出店の意向を転換させるのに十分な内容に変わったと言われる。結果、市長の対応を不誠実と受け止めそごうは計画を白紙撤回した。これによって郡山の駅前再開発は大きく遅れてしまい、地権者と市の間にも大きな溝を作ってしまった。その後かなりの時間が経過して、最終的に誕生したのが”ビッグアイ”であった。この事で郡山の経済発展が10年は遅れたとも言われた。しかし、考えてみればその後のそごうデパートも赤字経営に苦しみ、地方店の撤退が相次いだため、郡山店が出来たとしても撤退していたかもしれない。そしてまた、鳴り物入りで出来た”ビッグアイ”もテナントが埋まらない赤字経営が続いており市街地の再生は難しい舵取りを要求されている。

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現在の駅前市街地。再開発によってビッグアイがそびえ立ち、近代的に生まれ変わった。

しかし、客の流れは完全に郊外型大規模店に奪われ、シャッターをおろす小売店が続出。当初言われていた駐車場不足もかなり改善されたのだが、時すでに遅し。客足が遠のいてしまった。また多くの店舗が駐車場を自前で持てる郊外に移転し、富田地区や八山田、日和田などの地区が賑わっている。市や商店街、なども協力してイベントなどを行い活性化を模索しているがいまのところ決め手に欠けている状況である。そうした中、2月の終わりに丸井郡山店が32年間の歴史に幕をおろし、福島県の商業県都といわれている郡山にも大きな大きな影を落としている。中町という街なかに生まれ育った僕にはとても哀しい現実であり、なんの力も持ち合わせないのだが、”無い頭”で僕なりにこれからの事も考えて行きたい。

駅前、人々が行き交い常に情報の中心点である場所、その町の中心地点としての賑わいがある場所、うきうきしながら歩ける場所、その町の象徴として誇れる場所、そういった本当の意味での駅前の復活を期待したい。             郡山街っこのたわごと、、、

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コメント

マットシしゃん、おはようごじゃります(^◇^;)お久しぶりですな。マスダっち改め、マスダっち1971です。ハンドルネームの1971は、私の生まれた年なんすよ。マットシしゃんさ、郡山に『うすい百貨店』というデパートがあるっしょ⁉︎『うすい百貨店』って…行った事はございますか⁇『うすい百貨店』って…昔は【第1うすい】と【第2うすい】に分かれていたそうですが⁉︎

投稿: マスダっち1971 | 2015年3月 6日 (金) 10時43分

ますだっちさんへ
こんにちは、コメントが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
お元気ですか? ボクはずーーーっとブログ放置状態なのですが、まあまあ元気でやってます。
そうなんですね、丸井が閉店してもう5年。大震災もあり、結局丸井のビルは取り壊される事となってしまい、現在も解体工事が進行中です。
完全にひとつの時代の流れが消え去りました。でも、新しき息吹が生まれたら、この息吹を大事にしていきたいと思います。
噂ではホテルが核となったビルらしいので、あまり期待は出来ませんが、、、

投稿: mattoshi | 2013年11月 4日 (月) 00時20分

マットシさん、こんにちは。お久しぶりです、マスダっちです。お元気ですか?丸井郡山店が閉店して…今年で5年になるんですね。


投稿: マスダっち | 2013年9月26日 (木) 12時20分

ますだっちさんへ
また、遅くなってしまい申し訳ありません、、、
丸井のマーク、いつまで井桁だったかは、記憶が定かではありません。
思い起こすと、懐かしい事ばかりです。天気予報、店内の様子、最上階でしたか?赤いカードのカウンター、父と行った記憶があります。
その父も一週間前に他界しました。時代が消えていくのが寂しい限りです。今日はうねめまつりです。どうか祭りのときだけではなく、いつも賑わう駅前中町地区になってほしいものだと、切実に思います。

投稿: マットシ | 2011年8月 5日 (金) 07時01分

マットシさん、お久しぶりですね。地震の時は郡山は大丈夫でしたか!?マットシさんは・・・・・大丈夫でしたか!?ところで・・・・・丸井のマーク[○に井桁]って、丸井郡山店では平成何年頃まで見かけましたか??ところで、丸井郡山店がopenしたのは1975年ですよね??丸井の赤いカード[初代のあのカード!!]が登場したのも・・・・・1975年らしいです。

投稿: マスダっち | 2011年4月29日 (金) 18時04分

ますだっちさんへ
まずはごめんなさい、お返事が大変遅れてしまいました、、、
おっしゃる事、確認してみました。確かに丸井の天気予報が跡形も無く消えていました、、、郡山の丸井の痕跡はYouTubeの中にはほとんど残っていませんね、、、残念。
僕はDLして自分のiPodtouchの中に入っています、、、
お住まいの中野の丸井の閉店の様子がアップされていましたね。
わりと淡々と閉店したようですね。郡山の丸井の閉店の様子は動画でも撮影しておいたのですが、その時PCの調子が悪く何度やっても、静止画しか記憶してくれず、結局動画は泣く泣く捨ててしまいました、、、とっても後悔しています。郡山の丸井の閉店時、シャッターが下りる際には山口百恵さんの歌、”さよならの向こう側”がBGMに流され、それはそれは感動的なフィナーレでした。
僕もつい、ありがとう!! て大声で叫んじゃったりして、、、
どちらにしても、寂しいもんですね、、、

投稿: mattoshi | 2010年11月 1日 (月) 20時28分

マットシさんでよろしいんでしたっけ??マットシさ〜〜ん!!YouTubeの「丸井天気予報」(提供・丸井郡山店)が、「削除!!」されてました。去年YouTubeに投稿されていて、初めて閲覧したんですね。その時にブックマークしておいて、久々に閲覧しようと思っていたら・・・・・「削除!!」されてました(泣)

投稿: マスダっち | 2010年10月 3日 (日) 20時57分

マスダッチさんへ
コメントありがとうございます!
ごめんなさい、メンテ不足で、、、お返事が遅くなってしまいました。

そうですか〜、中野は丸井発祥の地ですよね。でも、中野本店も閉店してしまったんですよね、、、 駅のそばの丸井って、懐かしいです。
丸井の天気予報、ありましたありました!! 郡山のは、Youtubeに映像がありますから、良かったら見てみたらいかがでしょうか? なんとも懐かしく、いい時代の丸井のCMも見る事が出来ます。
郊外化が進み、駅前が沈んでいく、、、丸井はまさにその象徴です、、、哀しいです。
そうそう、丸井郡山店は、丸井の北限店だったそうです。

投稿: mattoshi | 2010年6月28日 (月) 19時49分

郡山にも丸井があったんですね!!「丸井天気予報」(提供・丸井郡山店)というミニ番組もあったらしいですね!!私は、生まれも育ちも東京都中野区で、丸井といえば、丸井中野本店を思い出します!!屋上の丸井のマーク(〇に井桁)も懐かしいですね!!

投稿: マスダっち | 2010年6月 9日 (水) 11時54分

山ちゃんさんへ
おはようございます。初コメントありがとうございます!とても嬉しいです。水戸ですか! 丸井ありますもんね、今になるとほんとうに羨ましいです。水戸は、昔になってしまいますがやはり偕楽園に行きました。すばらしい歴史があるしっとりと落ち着いたいい街ですよね〜。水郡線、あまりにも遅くて・・・ 
地方都市は今、どこもあえぎながら強制的に変革を迫られていますが、仙台のように商業施設がどんどん新規で開業している街もあります。東京も再開発があっちこっちで進んで景気がいいようですが、仙台なんかもプチ東京化しているのでしょうね。30万〜50万人口の都市が頑張れるように、みんなが街を理解して消費行動し、売り手側も面白い商品の品揃えや客の回遊性に配慮した街作りをしなければ再生はかなり遠いかもしれませんね。

どうか、また寄ってくださいませ。水戸の様子なども教えてください。今日は本当にありがとうございました。

投稿: マットシ | 2008年3月 4日 (火) 07時44分

初めまして、kojiさんつながりできました。
郡山の歴史興味深く読ませてもらいました。
私水戸なんで、水郡線は昭和9年開通なんですね。いつか水郡線で郡山までいきたいと思ってますが、4時間くらいかかるみたいなんで^^
地方の変革おもしろかったです。やはり郡山は大きいですね。
水戸は高台にあるので、こじんまりしていますから。
電車から、バス、自家用車と変わるにつれ、都市も大きく変わりますね。水戸駅周辺は今、マンションラッシュです。こちらも大きく変わりそうです。
 また、よませてくださいね。

投稿: 山ちゃん | 2008年3月 4日 (火) 05時40分

kojiさんへ
こんばんは、喜んでいただけて何よりです。koji さんは27年のお生まれでしたよね、、そうすると三丁目の夕日の世界がドンピシャですよね。あったかい時代だったのでしょうね。鉄道員のお父様、いいですね〜、ぽっぽやさん。息子としては誇りのお父様ですね。ストーブの上の牛乳。さぞ美味しかったのでしょうね。想像に難くありません。丸光、今も建物が残っていますが、一度エレベーターに乗ってみてください。たしかボタンとかがその当時のままだったと記憶しています。今度調べてみます。青春時代の記憶はいつまでも残しておきたいものですね!!

投稿: マットシ | 2008年3月 3日 (月) 21時32分

ピナ男さんへ
お待たせしました、取材からすぐに書き始めたのですが、丸井の件やらなにやらで、アップが遅くなってしまいました。二本松藩の宿場町、郡山村から始まり今に至る変遷は他の町に較べても大きく変わってきました。まあ、成り上がりと揶揄される向きもあるようですが、、、 自分の生まれ育った街のことを書いてみるともっと色々調べてみたくなります。 最近、戊辰戦争時の郡山の様子をまとめた本が出版されたそうです。会津藩がある意味、悲劇の英雄として描かれている事が多いですが、その陰で郡山の一般民衆が会兵に焼き討ちや略奪などやりたい放題されたそうです。crying話には聞いていましたが、歴史の陰の部分なので資料が少なかったのですが、今回はじめて本として出版されるようです。詳しく知りたいので購入予定です。book ピナ男さん、歴史に少しハマってしまいそうです。

投稿: マットシ | 2008年3月 3日 (月) 21時14分

“ピナ男さん”に同じ!いや~圧巻でした。一気に読んでしまいました。子供の頃、鉄道員だった親父につれられて度々行った郡山駅。待合室でストーブにかけたお湯を張った四角いブリキの容器の中の、暖かい瓶入りの牛乳がとてもおいしかったのを覚えています。親父との想いでの古い駅舎の写真が涙ものです。
それから駅前にケンタッキーが有った頃、つい最近のことのようなのだけれど、随分昔になってしまうのですね。ダイエー、スカイパーク・・・青春だったなあ。

投稿: koji | 2008年3月 3日 (月) 20時13分

いや~大作ですね。郡山への深い愛情のこもったレポートお疲れ様でした。時代ごとの写真・ジオラマとても興味の持てる内容でした。初期の郡山駅舎は何とも言えず「かわいい~」て感じで改札口のまん前が田んぼというのも なんだかそういう時代だったんですね~。昭和50年代からしか見たことがないですが これから郡山駅前がまた昔の賑わいを取り戻すことを願っています。

投稿: ピナ男 | 2008年3月 3日 (月) 19時03分

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