« 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、那覇上陸、そして別れの巻。 | トップページ | 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、宮古島、伊良部島、下地島 前編 »

2008年9月16日 (火)

沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、別れはまだまだ続くけど。

 那覇から”かりゆしおきなわ”が出航したのは午後8時を少し回った頃だった。辺りは夕闇に包まれてきていた。福島だったらとっくに真っ暗であろう、午後8時。西に位置する沖縄ではまだ、夕闇に包まれてきている、、、そんな明るい午後8時。

P1090193

東京を出航後、毎晩暗くなるとオリオン座が見えるからという訳からではないのだが、オリオンビールと泡盛を持ち寄り、誰彼ともなく旅人たちがデッキへと集まってくる。(う〜む、もうこれはひとつの習性と化しているようだ。)

 キリちゃんたちがいなくなると、まるでその穴を埋めるかのごとく、別のメンバーが増える。 この夜からは、南太平洋を駆けずリまくって水中写真を撮っていた、水中カメラマン、星久夫氏。 ダイビングのイントラライセンスを持つ男、宇田川竜一氏。この2名が新たに加わった。 星氏は自分の好きな海と南の島を追求し続けている人生を送っている。オリオンビールを飲みながら、彼の南太平洋の話を聞く。東シナ海海上で聞く南太平洋の話は、感動の連続で時間を忘れさせる、人生を狂わせてしまいそうに魅力的な話だった。  宇田川氏は、なんだか謎めいたおっさんで、(星氏もだが、、、)西表島でダイビングショップを開くそうで、話をしていたら、僕に対し、居候になれという。強く強く薦められる。かわりに手伝いをすること。僕への見返りはダイビングを教えてくれると言うことだった。その事をあまりに強く強引に誘うので、とりあえず承諾せざるを得ない僕なのであった。    宇田川氏は、例のブス女二人組となんだか仲良くやっている。見ていると、宇田川氏が酔っぱらってブス女にちょっかいを出しているようだった。 船上には「 スケベジジー!!!! 」 「どこさわってんだあ〜!きぇー!!!」などという怒号や奇声が渦巻き、傍らでは、僕が「会津磐梯山」の民謡を高らかに唄ったりしていて、なにがなんだか分からない状態が乗客15人ほどで 繰り広げられる。こうして時速21ノットで進む”かりゆしおきなわ”の船の上では感動、怒号、罵声、奇声、悲鳴、歌声、の入り乱れた船上パーティーが夜更けまで続くのである。

夜も更け、午前1時を回った頃、船上パーティーが終了。僕も船室へと戻る。那覇からは船室が変わり、2段ベッドの船室ではなく、だだっ広い畳の間に雑魚寝をするというスタイルに変わった。 まあ、ひとつの大部屋という奴である。那覇からはなぜか、ジジババの大集団が乗ってきていて、大部屋の大半もジジババが占拠している。扉を開け中を覗いてみると、時間も時間なので、船室の電気はとうに消され、部屋は真っ暗。ジジババのいびきが彼方此方から聞こえてくる。 暗くて良く見えなかったが、ちょっとすると目が暗闇に慣れてきて、中の様子がぼんやりと見えてきた。部屋の中ではジジババが好き勝手にあちこちで寝ている。かなり人口密度も濃い。 さて、僕も出がけに準備しておいた自分のスペースに向かおう。      ん? あれれ? 目を凝らしてみるが、なにかおかしい。出入り口付近の柱のそばのスペースが僕の場所、、、のはずなのだが、、、ない。そのスペースには体格のいい、見知らぬ婆さんが寝ているではないか。 準備していた僕の毛布までもがない。 おいおい!人数分できちんと毛布を割り振りしているのではないのか?? 琉球海運よ! この部屋はいったいどうなっているのだ??

 仕方なくロビーへ行き、緊急用船員呼び出し電話のダイアルを廻してみる。ところが、いつまでたっても電話は通じない。やむを得ず、船員室のあるデッキに行き、デッキ後方のドアを開けた。 中ではなんと、船員たちが麻雀に興じている。事情を話すと、ひとりのおっさんが客室係の女の子を電話で呼びつけた。事情が分かると女の子は、なんだかあからさまに、不服そうな顔をすると鍵を一つもって、「じゃ、一緒に来てください」とこれまた不服そうな声で言った。 僕の割り振られているC-7という部屋を覗くと、毛布がないのを確認し、今度はつかつかと別の部屋の前まで無言で歩き、持っていた鍵を使ってサロン室と書かれたドアを開けると中から毛布を持ってきた。 C-7に戻ると彼女は、部屋中央の一点を指差し「あそこで寝られませんか?」と冷たく言い放った。「えっ??」 見ると、ひとりの爺さんが、少し斜めになって寝ている。そこに出来た斜めの狭い空きスペースで寝ろと言う事なのだ。

Cocolog_oekaki_2008_09_16_22_36

「ちょっと、それは無理なんじゃないかな、、、それにジジババたちの健やかな眠りを妨げる事にもなるし、、、」 と僕も少し不満げに彼女に言った。彼女はなんら反応を示さない。 「じゃ、いいよ。デッキで寝るから」やけになって言った一言が功を奏した。またしても彼女は、「こちらへどうぞ」と不満げに言うと僕を案内した。行き先はさっき毛布を出してきたサロン室だった。通されて中に入ると20畳はあろうかというような大きな部屋だ。「おひとりでも良ければここをお使いください。」この時、彼女の不満いっぱいの顔が、僕には天使のように見えた気がした。こうして、初日の一等船室に続き、三日目も船内で一番贅沢に寝る事が出来た。 飛行機で言うならば、エコノミーチケットでファーストクラスに乗れたような、、、そんなものだった。アンラッキーからラッキーな夜に変わった”かりゆしおきなわ”。さあ、明日は石垣島だ。

P1090213

P1090190

|

« 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、那覇上陸、そして別れの巻。 | トップページ | 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、宮古島、伊良部島、下地島 前編 »

」カテゴリの記事

コメント

kojiさんへ
ありがとうございます。そうですか、まだ健在でしたか。奥といっしょに何度も行きました。最近はもうとんとご無沙汰です。たまに行きたいですね。郡山にも ”三浦海岸亭”というお店があります。ここにも何度か行きましたが、ちょっぴり値段が高めです、、、ちょっと飲んで食べて、、、ふう〜満足〜う となると 一万の大台を越す事も多く、、、

それにしても福島はご無沙汰なので、行ってみないと行けません。

投稿: マットシ | 2008年9月20日 (土) 05時12分

“mattoshiさん”は福島の『ぱいなっぷる家(ハウス)』に通っていたのですね。今でもちゃんとありますよ。わたしはその昔一度だけ行ったことがあります。“ゴーヤチャンプルー”はここで食べたのが最初でした。ここだったら“mattoshiさん”想い出の“オリオンビール”も飲めますよね。

投稿: koji | 2008年9月19日 (金) 20時29分

kojiさんへ
そうなんです。記憶にとどめられない、頭の悪い僕は、(結構、すぐ忘れてしまいます、、、)
こうやって記録に残す事に心血を注ぐのです、、、でも、たま〜にビデオなどを観ると、その時の世界観、自分観、が甦ってくるので、ビデオと写真は手放せないのです。
 自分の子どもの頃の記録はありませんが、だからこそ、今を切り撮っておきたいのかもしれません、、、

オリオンビールの軽い飲み心地は、内地の人には評判悪いのですが、向こうで飲むと、最高に美味いのです。だから、たまに沖縄を思って飲みます。そういえば、福島に沖縄料理のお店、ありましたよね。パイナップルハウス? でしたっけ? 何度も行きましたが、(沖縄中毒患者の頃、禁断症状に襲われるとイソイソと食べに行くのでした)いまでもあるのでしょうか??

投稿: マットシ | 2008年9月18日 (木) 22時54分

旅での出来事がこうして沢山の映像として残っているのは、やはり大きな財産ですね。それがきっかけとなって、いつでも鮮明に当時のことを思い出すことが出来ますよね。“mattoshiさん”の青春に乾杯ですね、オリオンビールで・・・。

投稿: koji | 2008年9月18日 (木) 20時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、那覇上陸、そして別れの巻。 | トップページ | 沖縄一人旅、、、あれからすでに14年、、、宮古島、伊良部島、下地島 前編 »