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2008年10月 3日 (金)

安積国造神社の秋祭り、二日目。山車祭り〜! 第一部

9月28日、安積国造神社秋季例大祭 二日目。今日は山車祭りの日である。郡山のお祭りは、山車と神輿で成り立っているのだが、二日目は山車のための夜である。そして、三日目 最終日は神輿のための夜である。しかし、このお祭りの起源をを探ると、山車祭りの歴史なのだそうだ。神社には三基の御神輿があり、それが神事として、神社への還行を行う。そして、その還行をお守りするかのように、山車が練り歩く。昔は大屋台と言って、二階建ての家の屋根より高い、大きな大きな舞台付きの屋台があり、その舞台では歌舞伎などを演じていたのだと事である。そして、明治以降、近代化の波にのまれ、電線や道路事情により、大屋台の運行は困難となり、そして姿を消した。

太平洋戦争が終結し、戦後の混乱の中、お祭りが再開された。ただ、各町会ではリヤカーによる手作りの山車や酒樽を利用した樽御輿でお祭りをしており、それは少しさみしい物であった。また、神輿のお祭りでは喧嘩が絶える事がなく、神社の安藤貞重宮司をはじめ、各町会の長老たちは、これではいかんと頭を悩ましていたのであった。

 そんな折、本一講では、二本松からやってきて町内で家具屋を営んでいた、斎藤信二氏や町の有志、橋本久氏など数名が提唱し、太鼓台山車を作ろうという気運が高まる。そして昭和27年に初代の山車が完成した。初代の山車にはその昔の大屋台の残骸部品も多数使用されていたらしい。初代の山車が完成すると、そのお囃子の音は遠くまで響き渡り、また太鼓台山車は当時本一のものしかなかったので、どこへ行っても歓迎され、また来てほしいとの要望もあり、巡行は一日に3回だったりした事もあったそうである。また巡行先も町内はもとより、一心坂やさくら通り、駅前、大町、界隈とかなり広範囲だったとの事である。

 そして何よりスゴいのはこれと同時期に、二本松と同系統の山車を作るという念願がその後4年間をかけて実現するということである。実現する、と簡単に書いたが、これはもう、大変な大事業で、旧家でお金持ちの商店主が多かったこの時代だからこそ、出来た物だったのだと思う。それになにより”粋”というものを知っていた当時の方々であったからなのであろう。    こうして昭和31年、本一講に待望の山車がやってきたのである。お囃子も二本松の竹田出身の斎藤信治氏同じく二本松、竹田出身の笛名人、佐々木定蔵さんの教えにより、二本松、竹田のお囃子が奏でられる事となった。ちなみに初代の太鼓台山車は、隣接町会の堤下町会に譲り渡した。堤下町会では多少手を入れたものの、ほぼ往時のまま、現在でも使用している。 それから、郡山の各町会は、本一の山車を手本に山車の文化とお囃子が再構築され、広まって行ったのである。今は時が経ち、”語りべ”としてこういう事実を語る人が少なくなり、他の町会では歴史を知らない人が大半なのであまり知られていない。しかしこういった事実から、われら本一講は山車に対する思いが本当に強く、お囃子にもとりわけこだわりが強く、やかましいわけである。詳細はまた、機会があったらお話しするとしよう。   ちなみにこの辺りの歴史をまとめあげた、本一太鼓台山車50年記念誌”参道の灯り”という一冊の本がある。これは、郡山市中町の”きく薬局さんに少数、準備してあるので、興味がある方は訪ねてみるといい。

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山車祭りは、本一講がもっとも生き生きする瞬であることが、この笑顔からもうかがえる、、、

秋祭り2日目の夜、郡山の駅前大通りは山車の提灯のあかりと、お囃子の音色、子どもたちのわっしょいわっしょいのかわいいかけごえで賑わう。さあ、われらも頑張って多いに盛り上がろうぞ! 大人が盛り上がらなかったら、子どもたちは盛り上がらないのである!!!=楽しくないお祭りになってしまうのである。=お祭りが廃れてしまうのである。

午後6時、事務所前をスタートし、中町夢通りを北上し、駅前大通りに向かう。6時30分に駅前大通りが交通止めになるので、6時30分になったら今年の先頭である”堂前さん”から入場する。気が早いのかなんなのか、本一講は大抵、一番乗りでビューホテルアネックス前に到着する。今回も例外なくそうであった。山車を左端に寄せ、堂前さんの通路を確保し、リハーサルよろしく、大いに盛り上がってしまう、、、目の前には郡山警察署の警備本部のテントがあり、固い顔をした警察の方々が仏頂面で鎮座している。我らはもう、リオのカーニバルに出れるのでは?と思われてしまうテンションで大騒ぎだ。先ず元気だ。  ここは、大町一丁目、通称”大一講中”の事務所前という事もあり、大一も本一の盛り上がりにおつき合いいただける。大一もお祭り好き(祭りバカ)が多いちょっと特殊な町会である。(失礼〜)本一講の現在の神輿は、大一講中から嫁にもらった物なので、本一講と大一講中は まあ、兄弟分のような関係なのだ。

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エンジンかかっちゃうと、もう大騒ぎ、、、の本一講の女たち。

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子どもたちにも元気を出してもらう!や〜れやーれや〜れや〜れ〜、、、! いいね〜え

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屋根の上では、真之介が盛り上がる!いいね〜。がんばれよー! 

ちなみに数年前まではこのポジションは僕が受け持っていたのだ! 僕が最近屋根に乗らない理由が、体重オーバーで下ろされたらしい、、、という噂を耳にするが、決してそうではない! 若連会長になったため、おろされたのだ!!!という事をここで声を大にして言っておこう!catface

20分ほどすると、神社から神主様がやってきて、お祓いをしてくださる。子どもたちを集め、はちまきを外し、お祓いを受ける。

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堂前さんの山車が到着した。我らの脇を通過し、大通りに一番で入場して行く。反対側の下町からは、大町三丁目、”大三講”が一番乗りである。

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堂前さんの山車が通過、がんばれがんばれ!

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大通りをはさんで、反対側の下町からは大三講の紅提灯が一番乗り。

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支部長の合図で本一講の山車祭りもいよいよ本番! ちなみに祭事部長のかわりに提灯を持っている長身男子は、知る人ぞ知る、名ギタリスト、松本林氏。実は婦人部部長の旦那なのだ!本一には久々の登場である!

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堂前さんのあとに続いて、われらも大通り入り。お囃子も絶好調!この瞬間も気持ちいいから大好きである。

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祐太郎も叩く。光栄に思えよ〜。 大通りで叩けるのは子どもにとって、名誉な事だ!

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親ばか、、、写真、もいっちょ!

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本一のお隣さん、中町もやってきた! 屋根の上では提灯をもって盛り上がっている! よ! まーちゃん!

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中町とすれ違う。屋根番人同士、エールを送りあう。

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お母さんももりあがっちゃう! これがいいのだなあ〜。

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南町通りさん。 僕の友人夫婦。夫婦で楽しんでいる! いいね〜。”ワさん”最高のお祭りだばい!

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光と音が交錯する。

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大二とすれ違う。赤い長半纏が粋である!

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大三の誇り、屋根無しのオープンカー!

巡行中、昔はしばしばあったのが、これ。提灯火災! 提灯が何かしらの原因で、メラメラと燃え上がってしまうことである。昔はこれも祭りの呼び物の一つだったりして、、、でも今は、かたくなに、気をつけなくてはいけない。ひとつ7000円近くする大切な財産、それが提灯。

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燃え上がる寸前の提灯。あ〜、もったいないなあ。

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ビッグアイと山車。アンバランスがいい感じのお気に入りの写真。

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郡山駅を背に、そろそろ帰路につく準備である。

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うすい前にて、、、

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真之介、踊る!

これから、本一町会を一周する。子どもたちはもうヘロヘロになって来ている。最後のがんばりを見せてくれ。

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小さな子どもたち、もう限界である、、、しかし、最後の力を振り絞り、ワッショイワッショイ

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そして、お疲れさま〜、事務所前到着!! 子どもたちはすぐに事務所の中に誘導される。

今日の行程は少し長かったかもしれないが、まあ、少しキツいくらいの方が、やり遂げた達成感があると思う。大人たちは子どもたちを目一杯!褒めてほしいのである。それが子どもたちの達成感、充実感を呼び、お祭りに対する考えを一変させる、と思うからである。  昔と違うのは、遊び、今の世の中あまりにも物質に恵まれているため、お祭りという素晴らしき娯楽文化も子どもたちにとって、重要ではなくなってきているのかもしれない。もちろん一般の大人たちにとってもそうなのであろう。しかし、こんな事でお祭りをダメにしてはいけないのである。もっと面白い物にして、お祭りをこれからの世の中に置いても不変に、大切な物。愉しいもの。意義深いもの。として、この子どもたちに引き継いでいかなければならないのである。 そんな大切な思いを、本一講ではみな、暗黙のうちに共有している。だから、毎年多くの子どもたちが集まってきてくれる。    今年も、”子どもがいないので山車が出せない” といって、山車を出さなかった町会がいくつかあるように聞いた。どうか、大人たちは考えてほしい。来年は何としてでも、子どもたちを集めて山車が出せるように、、、努力をいとわないでほしい。自分の町の文化の灯が消えかかっている事に気がついてほしい。そして、それが決して大袈裟な事ではない事を自覚してほしい。

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結婚した当初は、祭りに馴染めず、苦悩していた部分もあった”奥”だが、今ではなんとか定着して、頑張ってやってくれている。まずは、大人たちが楽しまなければいけないのである。

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そう、こんな風にね。

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お祭り」カテゴリの記事

コメント

ピナ男さんへ
お世話になりま〜す! ありがとうございます。お褒めいただき光栄至極でございます。

さて、お〜、ポタリングですか〜、いいですね。僕も行きたいですう〜(タラちゃん風に)

写真ですが、僕はもうブログ用には、0,3メガという、という小さなサイズ選択しています。引き延ばししなければ、このサイズでいいと思いますよ〜。


投稿: マットシ | 2008年10月 5日 (日) 01時42分

てるてるぼうずさんへ
樽御輿、そ〜ですね〜。われらもずいぶん長い事、樽でした。しかし、あちらこちらで、御輿は新調しましょう、という動きが活発になり、今に至りますそうです。昔はぶつけあいしていたのですか? 道理で喧嘩が起きていた訳ですね。 それはそれで勇壮だったのでしょうが。
 
 僕らの子ども時代は、別な意味で戦争状態になるのでした。銀玉鉄砲での一大スペクタル世界戦争に突入して、各町内で戦争をする訳なのです。駄菓子屋が間違いなく全線の基地でして、、、よく大人に叱られました。でも、子どもにとって、それはもうとってもとっても刺激的で面白かったのですが、、、徐々に過激な武器を持つ児童が出てきて、結局廃止になってしまいました。
そんな時代もありました。懐かしいものですね。
これからも、お互い、素晴らしいお祭りの歴史を創っていきましょう!!
 

投稿: マットシ | 2008年10月 5日 (日) 01時36分

マットシさんの祭りシリーズは熱気が感じられこちらまで熱くなってきます。これも人・街を愛するマットシさんならではだと思います。私は今日デジイチ持ってポタリングして来ましたが、画像が重すぎてアップロード不可とのこと。なんかいいお知恵ありませんか?ぶしつけですが。

投稿: ピナ男 | 2008年10月 4日 (土) 20時09分

おじゃまします。
お神輿の件
戦後間もない頃は各町会樽御輿を担いで
ぶっつけあいしてたそうです。
ちなみに、御輿コンテストなるものがあって
旧市役所に集まったと聞いています。
当事はお札を付けていたけど神輿でなく
御輿で社でなく基と言っていたのでは
定かではありません。
その名残で今も北町は樽にしているそうですよ。
僕らが幼少の頃は鉄のアングルで作った
屋台で(山車)二階建で上では婦人部の人が
踊りを踊ったり 鉄製で出来ていてしかも
坂の上にいたので某柳が来るとみんなで
坂を駆け下りて・・どか~ん
と聞いています
あらっぽかったんですね。
悪い町会だ。

投稿: てるてるぼうず | 2008年10月 4日 (土) 14時15分

kojiさんへ
こんばんは、コメントありがとうございます。
そうなのです。郡山も本宮も、もともとは二本松藩の宿場町でした。ですから文化圏は一緒だったのです。郡山のお祭りも200年以上前から、山車祭りだったらしいのです。山車の形が変わったりしましたから、あまり知られてはいませんが、180年ほど前に、郡山では太鼓台事件という上町と下町の大喧嘩が勃発し、逮捕者を200人以上も出すと言う大事件になったという事実があったそうです。先日、郡山市歴史民族資料館にて調べていただきました。 二本松も江戸時代には今の山車とは違ったようです。郡山も江戸時代の山車にはすぎなりがあったそうです。
いろいろとつながりがあるのですね。
とても興味深いです。調べてみれば面白いですよ。きっと、、、

投稿: マットシ | 2008年10月 3日 (金) 22時23分

HIDEさんへ

お疲れさまです! そうなのですかあ〜、
って、今、お邪魔してカキコしてきましたあ。
頑張ってみてください。
ソフト、いかがですか? なかなかお休みって取れないですよね。本当にスポ少のコーチのみなさん、役員の皆さんには、頭が下がります。

子どもたちと一体となって、大いに苦しみ、大いに悩み、大いに楽しむ、これがいいのでしょうか? 

投稿: マットシ | 2008年10月 3日 (金) 22時10分

“mattoshiさん”お疲れさまでした。先日から郡山のお祭りについて詳しく解説をなされていて、とても興味深く読ませていただきました。なかでも二本松の提灯祭りとの関わりなどについては、全く知りませんでしたので驚きでした。そういえば本宮の山車も“すぎなり”を持ったその姿が二本松のそれとよく似ているのも無関係ではないでしょう。
現代こそ、日頃の憂さを忘れさせてくれる“心のお祭り”が必要なんだと思います。
“mattoshiさん”本当にご苦労さまでした。

投稿: koji | 2008年10月 3日 (金) 20時16分

そうですよ~
大人が楽しまなくては、子供は楽しめないですよ~

私も、ロードに乗りはじめましたが、悩みが出来ました~トホホ

今日の午後9時半ごろ更新します。
ロード先輩として、アドバイスください。

ENDLESS HIDE

投稿: HIDE | 2008年10月 3日 (金) 19時32分

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